淡水は、かつて大陸との交易港であっただけでなく、沿岸の漁業も行われていたし、対岸の八里との連絡船もあった。
従って、紅毛城近くの河岸には海関碼頭があり、小漁港もあったし、台湾中から淡水郵便局に集められた郵嚢を汽船に積み込むための郵便碼頭があった。
それに渡し船の発着する渡船頭など多くの船着き場もあった。
しかし、それらにも増して戦前には現在MRT車站のそばにあった台湾一の木材工場、施合發の存在が大きかった。
施合發は、1930年代には2千トン級の2軸船「大観丸」などを所有していただけでなく、3千トン級の「杭州丸」も傭船していたので、現在駅前公園になっている場所に専用埠頭を3つも持っていた。
淡水河は砂の堆積で水深が浅いので、日本から満載してきた木材は河口で降ろし、筏に組んで貯木場へ曳航し、船の喫水を浅くして本船を接岸させていたという。