淡水の初代街長は洪以南であった。
彼は1913年に淡水の豪商、李怡和の旧居「達観樓」を買い取り、文化人のサロンとしていたという。
この「達観樓」は現在「紅樓」として知られている。
洪氏は1921年から1924年の間、初代街長を務めた。
多田栄吉は1930年から1933年の間、淡水街長(鎮長)を務めた。
現在、馬偕街19号に旧宅が残されている。
ここは台湾で初めて水道を引いた住居であった。
両親の結婚式には当時、街長を務めていた中原 薫氏が親代わりとして参列してくれた。
そのほか、街長を務めた人には鳥井勝治氏、小副川猛氏などがいるが、古蹟として「淡水街長多田榮吉故居」と表記されているのは、淡水地区の近代化過程で氏の施政上の功績が偉大であったからであろう。