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淡水街

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日本特別展覧会資料「拝啓 日本様−淡水より−」によると、『清朝時代にまず栄えた米市、元吉および公館口から次第に坂の下の後街仔、東興、公館口、新店などの地区に移り、その中でも東興付近が最も繁栄していた。(中略)1920年に福佑宮の前に公有市場が設立され、商業地域は新店一帯に移り始めた。この地区の商業は種類が多く、台湾人と日本人の店が同じようにあった。行政機関は主に烽火段では小売り業を主とした商店は置かずに、多くは会社の形態を採り、労働力の仲介は南国公司と不動産業の川口屋が行っていた。』とある。

そして『1929年に狭隘になった淡水市街の再開発が始まり、1930年に完工、淡水駅から税関までの道路が拡幅された。1934年には「現在の道路は道幅が狭く、拡張工事の実施で交通の円滑化を図る」として旧市街地の道路を幅9.1メートル(両側に各1.3メートルの歩道が設けられた)に拡張して、下水道も敷かれて公共衛生の維持が図られた。住民は両側に大量に建設された2階または3階の「昭和様式」の建築物に住むようになり、現在の淡水中正路の主要な伝統市街地が形成された。1938年までの間に、公共市場も建て替えられた。』と解説は続いている。

写真は整備された新店の街並みである。


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2011年12月11日 15:30に投稿されたエントリーのページです。

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