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淡水街の公会堂

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日本特別展覧会資料「拝啓 日本様−淡水より−」によると、淡水公会堂は1909年4月に完工し、一般市民に図書閲覧、食事と囲碁将棋、交流と健康など藝術文化活動の場を提供していたという。
同資料によれば税関吏など地方官吏、台湾銀行や日本商社の社員、淡水の有力者などを構成員としていた「五十會倶楽部」が当時の淡水の社会文化活動を推進しており、公会堂や淡水海水浴場、台湾で初めてのゴルフ場建設などの設立に寄与したと掲載されている。

一方、淡水の歴史を丹念に追跡している「漁人碼頭的戰爭(http://danshuihistory.blogspot.com)」には、税関の職員などによる「淡水倶楽部」が街営の海水浴場や公會堂を建設したと掲載されているが、1909年の公會堂竣工には疑問を呈しており、「1918年:興建淡水公会堂(即今淡水文化大楼所在地)、1928年8月1日:淡水公会堂落成」としている。
当時としては大きな建造物ではあったが、それにしても工期10年というのは長すぎる感がある。

淡水の名士であった周明徳氏の私家本(2000年著)「続・夕日無限好」によれば淡水街で昭和天皇の即位大典(1928年11月10日)記念行事として寄付金を公募し公會堂を建て、同年8月16日に竣工したという。
この寄付金の大半は施合発製材工場の施坤山氏が提供したという。

1909年に公會堂が開設されたのは事実であろう。
砲台埔二八に淡水稲荷社(1906年11月15日鎮座)の区画を表した地図があるが、隣接地は「公會堂地塊」とのみ記されている。ここに公會堂(旧館?)が建てられたのではあるまいか?
そこを1920年代に改築したのではないかと思うようになった。

別項で紹介したが、戦後(1950年前後)、水上飛行場傍の測候所に勤務する空軍気象観測班が空き屋になっていた公會堂に住んでいた。沢山の家族がここを住居とするため、幾つもの小区画に仕切られ、電線もしばしば過負荷で短絡することもあったらしい。
そして懐かしい公會堂は漏電で消失してしまった。


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2011年12月09日 11:44に投稿されたエントリーのページです。

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