龍目井の我が家(再掲)
3月1日(9ヶ月前)の本欄で「龍目井の我が家」として写真を載せた。
その欄で、戦後何度も淡水街の写真を送ってくれた父の教え子の人が示してくれた家を黒ペンで、私がそのとき推定していた家を赤ペンでマークしていた。
いま、父のメモを読み直してみると『(前略)・・小路があり、入って左2軒目が当時 龍目井の宿舎で・・(後略)』とある。
どうやら、そのとき赤ペンで印した建屋より一軒、通り側の家らしい。
そうすると父の書き残しておいてくれた原稿の『(前略)・・郵便局の近くで、裏口からは、同僚の安武さんの家の裏口に通じていた。(後略)』とも合致する。
写真の上左に、三角形が二つ並んだ「小公園」があり、そこに接してボストンの博士の生まれた、鄭先生の興亜医院の大きな屋根が見える。
左下にはキリスト教長老派教会の大屋根と尖塔があり、右下のL字型の建物が淡水郵便局で、その裏は河面である。
小公園の河寄りは区画整理のあと建て替えられたが、ここから河岸へ抜ける小路は当時のままの様である。
手許に残った限られた資料を幾度も眺めていると判ってくることもあるものである。