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残存艦艇の戦後活動とその帰趨(App3:WEYER'S FLOTTENTASCHENBUCH 1960)

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艦艇の欲しかったのはソ連の極東艦隊も同様であった。

詳細は省くが、このページにも「春月」、「響」、「初桜」、「榧」などが掲載されている。

ソ連は日本の劣勢なるを見ると、1945(昭和20)年8月8日に、不可侵条約を反古にして一方的に日本に宣戦布告を行った。

そして、その翌日の9時前に日本海で食糧などの運送に当たっていた大阪商船の「めるぼるん丸」はイリューシン爆撃機の来襲をうけた。

当直の乗組員は、まさかその前日に対日宣戦したソ連から直ぐ攻撃を受けるとは思わず、友軍機と思って眺めていたという。

2等運転士など3名が戦死したが、そのうちの一人は負傷して羅津満鉄病院に入院していてソ連機の機銃掃射で戦死したものである。

そして戦勝国として、戦時賠償船艇を、米英華と等分に譲渡されたのである。

ソ連への賠償船艇は、日本側の運航ですべてナホトカに回航された。

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2011年11月04日 15:31に投稿されたエントリーのページです。

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