基隆は台湾北部の港の一つであったが、航洋船舶が大型化すると、税関も置いていた淡水に代わって主要港として整備された。
内港の西側に沿って鉄道の引き込み線も設けられ、上屋も列び、繋船堀も整備されたが山に囲まれた狭い港湾で、一般商船のほか、漁船、海軍艦艇、コーストガードと常時満船状態で、コンテナヤードも混雑を極めている。
それで淡水の対岸八里に台湾海峡に面した大きな貿易港が構築中で、台北港と呼ばれるようになった。
写真は1945年当時の基隆港で左下、基隆駅前に港湾合同庁舎が建っていた。
それから50年経って「飛鳥」でここに入港したときは対岸の客船ターミナルに接舷した。
1946年に引き揚げたときは左側の貨物岸壁から出港したはずである。