淡水国小の駐車場入り口に施乾氏の像があったことを別のウェブページで見つけた。
施乾は淡水国民学校の卒業生で、台湾総督府に勤めていたが、萬華地区で貧民生活の惨状を見て救済施設、愛愛寮を建て救済事業に献身した。
京都出身の清水照子と結婚したが、大戦末期の1944年に高血圧で亡くなった。
照子夫人は終戦を迎えて帰国か滞在かで悩んだが、寮と収容者を放置することが出来ず、施設に留まり事業維持にあたった。
現在も創設者、施乾の仁愛と愛護の精神は今日も受け継がれているという。
台湾を訪れた菊池寛が、愛愛寮のことを聞き、施氏の著書を内地で紹介したことから、その功績が認められ宮内省を通じて恩賞を受けている。
施氏のことは淡水国小の90週年記念誌にも紹介されており、知ってはいたがその頭像が校地にあるとは知らなかった。
記念誌には、李登輝、許丙、杜聡明、周炳銘などの各氏とともに紹介されている。