台湾に最初に鉄道が敷設されたとき、台北駅は淡水河の傍で折り返し駅であった。
基隆へ行くのも、新竹に行くのも台北駅から東に向いて出発し、基隆へはそのまま、新竹方面に行くには途中で分岐して淡水河を渡っていたという。
ちょうど、四国の高松駅のようではなかったかと思う。
(高松は鉄道連絡線、宇野・高松線の接続駅として建設され、鉄路は予讃線も高徳線も西に向いて発車する)
後に清国統治時代のこの軌条は廃止され、やや東に台鐵の台北駅が建設された。
その正面の道路が表町通りと呼ばれ、その正面に博物館があり、有名な台北鉄道ホテルもこの通りに面していた。
現在の駅舎は更に東に寄っている。
台北駅の近くで鉄道は地下に敷設され、MRTもそこから接続している。
台鐵時代の淡水線は、現在のMRT淡水線とほぼ同じ経路を走っていた。
挿絵は片倉佳史氏の「台湾鉄路と日本人」から複写した。