残存艦艇の戦後活動とその帰趨(App1:「海防艦」とは)
日本海軍において、海防艦という艦種は1898(明治31)年に制定された。
当時の海防艦とは、戦艦や装甲巡洋艦など主力艦の艦齢が経過すると海防艦に編入され、主力艦隊から鎮守府に移籍されるなどしていたので立派な軍艦であった。
練習艦隊に加わり世界一周した海防艦もいる。
連合艦隊の戦列艦であった戦艦「富士」も1912(大正元)年に一等海防艦になった。
日露戦争でバルト海から長駆回航してきた第二東洋艦隊(バルチック艦隊)に圧勝したときの旗艦「三笠」も、日清戦争で鹵獲され、二等戦艦になっていた清朝甲鐵砲塔艦「鎮遠」も一等海防艦になった。
日露戦争で鹵獲された「壱岐(旧インペラトール・ニコライ一世」)も二等戦艦から海防艦になり、同じく「石見(旧アリヨール)」、「周防(旧ポビエダ)」、「相模(ペレスウェート)」、「丹後(旧ポルタワ)」なども同様である。
しかるに1942(昭和17)年7月1日の類別変更により「海防艦」の定義が全く変わってしまった。
昭和12年以降に新造された小型護衛用艦艇を「海防艦」と改めたのである。
当然ながらその「海防艦」は軍艦ではない。
軍艦とは、戦艦、航空母艦、重巡洋艦、軽巡洋艦、水上機母艦、敷設艦、潜水母艦、飛行艇母艦、それに揚子江などに配備される河用砲艦など、艦首に菊の紋章をつけた艦艇で、これらの指揮官は艦長と呼ばれていた。
駆逐艦や潜水艦も後期には基準排水量2千トンを越えるものもあったが、これらの指揮官は駆逐艦長、潜水艦長と呼ばれて艦長と区別され、艦隊の停泊する泊地で「艦長集合」によって旗艦に集合するのは駆逐艦3〜4隻で編成された駆逐隊司令、潜水艦3〜4隻で編成された潜水隊司令であった。
すなわち、駆逐艦、潜水艦は3、4隻で軍艦扱いであった。
なお、ここでこれらよりずっと小さな河用砲艦が軍艦に類別されているのは外地に在泊する軍艦は国土の延長と見なされ、治外法権を獲得することが出来るからであった。
従ってこれら砲艦の艦長は大佐あるいは中佐が務めていた。
以降、海防艦とは1942年の類別変更後のものを指すことにする。
海防艦は戦時急造に備えた設計であったが幾つかの艦型に分類される。
[甲型(基本計画番号E15:設計三菱)]占守(同型艦4隻)
「占守(賠償ソ)」、「国後(解体)」、「石垣(戦没)」、「八丈(解体)」
基準排水量:860トン
全長:77.72メートル
速力:19.7ノット
航続距離:8000海里(16ノット)
[甲型(基本計画番号E19)]択捉(同型艦14隻)
「択捉(賠償米)」、「松和(戦没)」、「佐渡(戦没)」、「隠岐(賠償華)」、「六連(戦没)」、「壱岐(戦没)」、「対馬(賠償華)」、「若宮(戦没)」、「平戸(戦没)」、「福江(賠償英)」、「天草(戦没)」、「満珠(解体)」、「干珠(自沈)」、「笠戸(解体)」
基準排水量:870トン
全長:77.70メートル
速力:19.7ノット
航続距離:8000海里(16ノット)
[甲型(基本計画番号E20)]御蔵(同型艦8隻)
「御蔵(戦没)」、「三宅(解体)」、「淡路(戦没)」、「能美(戦没)」、「倉橋(賠償英解体)」、「屋代(賠償華)」、「千振(戦没)」、「草垣(戦没)」
基準排水量:940トン
全長:78.8メートル
速力:19.5ノット
航続距離:5000海里(16ノット)
[乙型→甲型(基本計画番号E20b)]日振(同型艦9隻)
「日振(戦没)」、「大東(触雷沈没)」、「昭南(戦没)」、「久米(戦没)」、「生名(海保「おじか」)」、「崎戸(解体)」、「目斗(触雷沈没)」、「四阪(賠償華)」、「波太(賠償英)」、「大津(解体)」、「友知(解体)」
基準排水量:940トン
全長:78.8メートル
速力:19.5ノット
航続距離:5000海里(16ノット)
[乙型(基本計画番号E20b]鵜来(同型艦20隻)
「鵜来(海保「さつま」)」、「沖縄(解体)、「奄美(賠償英)」、「粟国(解体?)」、「新南(海保「つがる」)」、「屋久(戦没)」、「竹生(海保「あつみ)」、「神津(賠償ソ)」、「保高(賠償米解体)」、「伊唐(解体)」、「生野(賠償ソ)」、「稲木(戦没)」、「羽節(賠償米)」、「男鹿(戦没)」、「金輪(賠償英解体)」、「宇久(賠償米解体)」、「高根(解体)」、「久賀(解体)」、「志賀(海保「こじま」)」、「伊王(解体)」、「蔚美(解体)」、「室津(解体)」
基準排水量:940トン
全長:78.8メートル
速力:19.5ノット
航続距離:5000海里(16ノット)
[丙型(基本計画番号E21b]第1号海防艦(56隻)
「第1号(戦没:漂流者に機銃掃射、生存者なし)」、「第3号(戦没)」、「第5号(戦没」、「第7号(戦没)」、「第9号(戦没)」、「第11号(戦没)」、「第13号(第47号海防艦の漂流者を救助活動中米潜に撃沈さる)」、「第15号(戦没)」、「第17号(戦没)」、「第19号(戦没)」、「第21号(戦没)」、「第23号(戦没)、「第25号(戦没)」、「第27号(賠償英)」、「第29号(解体)」、「第31号(戦没)」、「第33号(戦没)」、「第35号(戦没)」、「第37号(賠償米解体)」、「第39号(戦没)」、「第41号(戦没)」、「第43号(戦没)」、「第45号(擱座)」、「第47号(戦没)」、「第51号(戦没)」、「第53号(戦没)」、「第55号(賠償英)」、「第57号(解体。船体は宇部防波堤)」、「第59号(復員輸送艦、触雷沈没)」、「第61号(触雷大破)」、「第63号(触雷座礁)」、「第65号(戦没)」、「第67号(賠償華)」、「第69号(戦没)」、「第71号(賠償ソ)」、「第73号(戦没)」、「第75号(除籍)」、「第77号(賠償ソ)」、「第79号(賠償ソ)」、「第81号(賠償華)」、「第83号(未成)」、「第85号(賠償華)」、「第87号(賠償華)」、「第89号(未成)」、「第95号(終戦時横須賀で中破状態)」、「第97号(解体)」、「第105号(賠償ソ)」、「第107号(賠償華)」、「第205号(賠償華)」、「第207号(賠償米)」、「第213号(戦後触雷)」、「第215号(賠償華)」、「第217号(賠償英解体)」、「第219号(戦没)」、「第221号(賠償ソ)」、「第223号(未成)」、「第225号(解体)」、「第227号(賠償ソ)」
基準排水量:745トン
全長:67.5メートル
速力:16.5ノット
航続距離6500海里(14ノット)
[丁型(基本計画番号E22)]第2号海防艦(67隻)
「第2号(舞鶴で終戦)」、「第4号(戦没)」、「第6号(戦没)」、「第8号(賠償米)」、「第10号(戦没)」、「第12号(賠償米解体)」、「第14号(賠償華)」、「第16号(賠償英)」、「第18号(戦没)」、「第20号(戦没)」、「第22号(賠償米)」、「第24号(戦没)」、「第26号(賠償米解体)」、「第28号(戦没)」、「第30号(戦没)」、「第32号(賠償英)」、「第34号(賠償ソ)」、「第36号(賠償米解体)」、「第38号(戦没)」、「第40号(賠償華)」、「第42号(戦没)」、「第44号(賠償米解体)」、「第46号(戦後触雷沈没)」、「第48号(賠償ソ)」、「第50号(終戦時大阪で船尾切断状態)」、「第52号(賠償ソ)」、「第54号(戦没)」、「第56号(戦没)」、「第58号(賠償米解体)」、「第60号(賠償英)」、「第62号(沈没解体)」、「第64号(戦没)」、「第66号(戦没)」、「第68号(戦没)」、「第72号(戦没)」、「第74号(戦没)」、「第76号(賠償ソ)」、「第78号(賠償ソ)」、「第82号(戦没)」、「第84号(戦没)」、「第102号(賠償ソ)」、「第104号(賠償華)」、「第106号(賠償米)」、「第112号(戦没)」、「第116号(擱座除籍)」、「第118号(賠償華)」、「第124号(終戦時触雷、解体)」、「第126号(賠償英)」、「第130号(戦没)」、「第132号(戦後復員輸送)」、「第134号(戦没)」、「第138号(戦没)」、「第142号(賠償ソ)」、「第144号(戦没)」、「第150号(賠償米)」、「第154号(賠償英解体)」、「第156号(賠償英解体)」、「第158号(賠償米解体)」、「第160号(賠償英解体)」、「第186号(戦没)」、「第190号(終戦時大阪中破)」、「第192号(賠償華)」、「第194号(賠償華)」、「第196号(賠償ソ)」、「第198号(賠償華)」、「第200号(中破解体)」、「第202号(触雷解体)」、「第204号(終戦時中破状態、解体)」
基準排水量:740トン
全長:69.5メートル
速力:17.5ノット
航続距離4500海里(14ノット)
計画乗員141名
写真を較べると、艦首のカーブも省略され、簡素化が進んでいった様子が判る。
木造漁船を作っていた地方の造船所まで動員されたのである。
次回は、これら海防艦に便乗者を乗せるために、困難な状況下で如何に改造したかを示す予定である。
准士官以上16名、兵員84名程度で、4百人を越える便乗者を乗せて航走したのである。