ブログ「漁人碼頭的戰爭」のコメント欄に記載があったので、当時の様子を少し記述してみようと思う。
終戦時点のわが艦艇隻数は829隻(魚雷艇294隻を除くと535隻)であった。
内訳は
戦艦:4隻
巡洋艦:11隻
航空母艦:6隻
水上機母艦:1隻
潜水母艦:1隻
敷設艦:3隻
駆逐艦:41隻
潜水艦:59隻
海防艦:100隻
砲艦:14隻
水雷艇:3隻
掃海艇:11隻
駆潜艇:28隻
敷設艇:6隻
哨戒艇:6隻
輸送艦:16隻
特務艦:19隻
敷設特務艇:14隻
駆潜特務艇:146隻
掃海特務艇:21隻
電纜敷設艇:1隻
哨戒特務艇:25隻
魚雷艇(甲):6隻
魚雷艇(乙):200隻
魚雷艇(隼):88隻
である。
このうち1946(昭和21)年4月1日現在、日本近海にあった行動不能等艦船の状況は、戦艦4隻、航空母艦4隻、巡洋艦6隻、敷設艦1隻、駆逐艦11隻、潜水艦19隻、海防艦25隻、輸送艦2隻、掃海艇3隻、駆潜艇9隻、敷設艇2隻、哨戒艇2隻、練習特務艦4隻、測量特務艦1隻、標的特務艦3隻、敷設特務艇3隻、掃海特務艇1隻、駆潜特務艇23隻、哨戒特務艇9隻の132隻であった。
内訳は、戦艦4隻(長門、伊勢、日向、榛名)、航空母艦4隻(天城、龍鳳、隼鷹、海鷹)、巡洋艦6隻(酒匂、利根、大淀、青葉、出雲、磐手)、敷設艦1隻(常磐)、駆逐艦11隻(澤風、春風、潮、初霜、楢、榎、柳、楡、椿、涼月、朝顔)、潜水艦19隻(伊号121、伊号155、伊号363、伊号369、伊号372、伊号503、伊号504、呂号57、呂号58、呂号59、呂号62、呂号63、呂号68、呂号500、波号101、波号102、波号104、波号204、波号209)、海防艦25隻(八丈、笠戸、崎戸、高根、沖縄、久賀、粟国、天草、伊唐、稲木、29号、45号、63号、65号、69号、95号、2号、4号、50号、74号、124号、190号、200号、202号、204号)、輸送艦2隻(21号、153号)、掃海艇3隻(1号、17号、33号)、駆潜艇9隻(14号、15号、19号、20号、42号、44号、48号、51号、52号)、敷設艇2隻(怒和島、新井崎)、哨戒艇2隻(102号、104号)、練習特務艦4隻(浅間、富士、春日、敷島)、測量特務艦1隻(駒橋)、標的特務艦3隻(大浜、矢風、摂津)、敷設特務艇3隻(戸島、葦崎、黒崎)、掃海特務艇1隻(6号)、駆潜特務艇23隻(15号、16号、20号、25号、49号、60号、153号、160号、164号、167号、170号、172号、178号、188号、195号、198号、208号、211号、213号、225号、226号、228号、229号)、哨戒特務艇9隻(25号、26号、31号、37号、90号、122号、163号、179号、191号)である。
それぞれの在泊位置および状態は膨大になるので割愛するが、その一部として呉地区に在泊した大型艦およびその状況は次の通りである。
戦艦「伊勢」:3月19日の空襲で命中弾2(至近弾:不明)、7月24日には命中弾5、至近弾多数、7月28日には命中弾11,至近弾多数で致命傷を受けた。
このため、船体は大破し、艦内は満水で右へ15度傾斜して着底状態で擱坐した。
戦艦「日向」、戦艦「榛名」も同様の状況であった。
空母「龍鳳」:3月19日の空襲で命中弾5を受け、中甲板以上の損傷大であった。
空母「天城」:3月19日、7月24日、7月28日で命中弾4以上を受け、至近弾による外板の多数の破孔から浸水し、横転状態で擱坐していた。
巡洋艦「利根」は上記3回の空襲で命中弾5、至近弾7以上を受け、船体は大破し、満水着底状態であった。
巡洋艦「大淀」は同様に命中弾6以上、多数の至近弾を受け船体大破、横転擱坐した。
巡洋艦「青葉」は7月下旬の2回の空襲で命中弾約5発を受け、船体大破、艦内満水、擱坐、艦尾はほとんど切断状態であった。
巡洋艦「磐手」は老齢艦のため各部に浸水、擱坐。
同「出雲」は7月24日の空襲で致命傷を受け、転覆擱坐した。
標的艦「摂津」は老齢艦のため浸水擱坐していた。
1945(昭和20)年9月5日現在外地に在った艦艇は次の98隻であった。
巡洋艦「妙高」:(シンガポール・中破)
巡洋艦「高雄」:(シンガポール・中破)
水上機母艦「能登呂」:(シンガポール・大破着底)
敷設艦「若鷹」:(スラバヤ・艦首損傷)
駆逐艦「神風」:(シンガポール)
駆逐艦「柿」:(青島)
駆逐艦「栗」:(青島)
駆逐艦「蓮」:(青島)
潜水艦「伊号501」:(シンガポール)
潜水艦「伊号502」:(シンガポール)
潜水艦「伊号505」:(ジャカルタ)
潜水艦「伊号506」:(スラバヤ)
砲艦「安宅」:(上海)
砲艦「鳥羽」:(上海)
これら艦艇の多くは、大陸、半島、南方などからの復員輸送と、我が国海軍最後の任務である引き揚げ輸送に従事した。
これらの艦船は、戦後間もなく米軍が貸与してくれたそれぞれ100隻ずつのリバティ型船とLSTとともに復員/引き揚げ業務にあたったのち、米国、英国、中華民国、ソ連に戦時賠償として引き渡された。
引揚輸送を終わった特別輸送艦と繋留機雷の掃海を終わった鋼製掃海艦の大部分は1946(昭和21)年夏以降、逐次所定の旧軍港内に繋留された。
1947(昭和22)年1月から4月頃にかけて横須賀(長浦港)、佐世保および舞鶴には駆潜艇以下の小艦艇が多数係留された。
これらは、当時特別保管艦と称していたが、それらは特別輸送艦として扱われた(掃海任務を終了した艦艇は掃海艦から特別輸送艦に転籍のうえ特別保管艦となった)。
[横須賀](86隻)
駆逐艦:「花月」、「春月」、「夏月」、「宵月」、「雪風」、「波風」、「汐風」、「初桜」、「響」、「夕風」、「萩」、「蔦」、「柿」、「菫」、「欅」、「桐」、「楠」、「竹」
海防艦:「福江」、「保高」、「生野」、「四阪」、「14号」、「16号」、「34号」、「36号」、「37号」、「71号」、「105号」、「107号」、「神津」、「倉橋」、「屋代」、「48号」、「49号」、「76号」、「77号」
輸送艦:「9号」、「13号」、「16号」、「19号」、「110号」、「147号」
掃海艇:「23号」、「102号」
敷設艇:「神島」、「巨済」、「石崎」
駆潜艇:「47号」、「49号」
掃海特務艇:「11号」、「12号」、「13号」、「14号」、「17号」、「18号」、「21号」、「22号」
駆潜特務艇:「1号」、「4号」、「27号」、「58号」、「68号」、「72号」、「78号」、「88号」、「155号」、「159号」、「161号」、「171号」、「181号」、「183号」、「185号」、「194号」、「196号」、「202号」、「203号」、「212号」、「221号」、「241号」、「公称1182」、「公称1648」
哨戒特務艇:「3号」、「26号」、「31号」、「134号」
[佐世保](86隻)
駆逐艦:「樫」、「雄竹」、「杉」、「楓」、「冬月」
海防艦:「宇久」、「金輪」、「波太」、「対馬」、「択捉」、「三宅」、「羽節」、「伊王」、「隠岐」、「8号」、「27号」、「32号」、「44号」、「52号」、「55号」、「57号」、「58号」、「60号」、「78号」、「79号」、「106号」、「118号」、「126号」、「132号」、「142号」、「150号」、「192号」、「194号」、「196号」、「198号」、「215号」、「221号」、「227号」、「鵜来」、「竹生」、「生名」、「12号」、「22号」、「104号」、「154号」、「217号」
輸送艦:「137号」、「172号」、「174号」
水雷艇:「雉」
敷設艇:「粟島」、「済州」、「加徳」、「黒島」、「鷲崎」
駆潜艇:「9号」、「21号」、「38号」
掃海特務艇:「16号」
駆潜特務艇:「71号」、「80号」、「89号」、「90号」、「93号」、「99号」、「154号」、「158号」、「168号」、「169号」、「173号」、「231号」、「234号」、「247号」、「249号」、「250号」
補給船等:「若鷹」、「光済」、「白崎」、「早崎」、「荒崎」
陸軍SB艇:「109号」、「114号」
陸軍ES艇:「7号」、「12号」、「18号」、「19号」
[舞鶴](60隻)
駆逐艦:「初梅」、「樺」、「榧」、「槇」、「椎」
海防艦:「奄美」、「占守」、「67号」、「81号」、「85号」、「87号」、「158号」、「160号」、「205号」、「207号」、「新南」、「26号」、「40号」、「102号」、「156号」
掃海艇:「21号」
敷設艇:「黒神」、「片島」
掃海特務艇:「19号」、「20号」
駆潜特務艇:「57号」、「79号」、「86号」、「157号」、「162号」、「164号」、「166号」、「175号」、「179号」、「184号」、「186号」、「187号」、「198号」、「214号」、「215号」、「217号」、「219号」、「222号」、「227号」、「232号」、「236号」、「239号」、「245号」、「246号」
哨戒特務艇:「84号」、「135号」、「136号」、「138号」、「139号」、「152号」、「153号」、「154号」、「175号」、「179号」、「191号」
特別保管船92隻を、次の4組に分けて抽選の上、米、英、華、ソ4ヵ国に引き渡された。
第1回(8隻あて、4組)
1組:「萩」、「竹」、「夕風」、「波太」、「福江」、「海8」、「海32」、「55」。
2組:「初梅」、「楓」、「雪風」、「四阪」、「海14」、「海67」、「海194」、「海215」。
3組:「椎」、「榧」、「響」、「占守」、「海34」、「海105」、「海196」、「海227」。
4組:「柿」、「雄竹」、「宇久」、「海44」、「海106」、「海150」、「海192」、「海207」。
第2回(8隻あて、4組)
1組:「菫」、「楠」、「槇」、「金輪」、「海16」、「海27」、「海60」、「海126」。
2組:「樺」、「樫」、「保高」、「択捉」、「海36」、「海58」、「海87」、「海158」。
3組:「初桜」、「桐」、「生野」、「海52」、「海78」、「海79」、「海142」、「海221」。
4組:「杉」、「蔦」、「樺」、「対馬」、「海85」、「海118」、「海198」、「海205」。
第3組(7隻あて、4組)
1組:「花月」、「羽節」、「海12」、「海22」、「海26」、「海37」、「海49」。
2組:「春月」、「神津」、「海48」、「海71」、「海76」、「海77」、「海102」。
3組:「宵月」、「屋代」、「隠岐」、「海40」、「海81」、「海104」、「海107」。
4組:「夏月」、「奄美」、「倉橋」、「海154」、「海156」、「海160」、「海217」。
予定回航先:米−青島、英−シンガポールまたは香港、華−上海、ソ−未定
ソ連に引き渡された艦艇の引き渡し場所はすべてナホトカであった。
次回以降、小さな海防艦を如何に改造して数百人の便乗者を乗船させたかという区画改造要領や、特別保管船を戦勝4ヵ国に回送した要領や、中華民国に配分された艦艇の中国名(32隻分、2〜3隻不明分あり)などを掲載する予定である。
写真は1947(昭和22)年7月25日に撮影された第二次引渡艦である(於佐世保港。左方:海防艦、右方:駆逐艦)。