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台湾航路の貨客船

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淡水会で泊まった部屋は二間続きの和室であった。

そこで交々に往時の話に花が咲いた。

話の中に、台湾航路の客船の話が出た。

当時は民間人の往来は船舶に決まっていた。
航路は神戸から門司に寄港して基隆までである。

大阪商船は総トン数8000トン級の「高千穂丸」、その拡大改良型である「高砂丸」(9300総トン)などが就航しており、日本郵船(近海郵船)は「富士丸」(9100総トン)などを台湾航路に充てていた。

これら3隻は、それまでの中古船と違って三菱長崎で建造した新造船であった。

当時、写真で見るように船腹にかなで大きく船名が書かれていた。


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2011年10月26日 17:47に投稿されたエントリーのページです。

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