今回の淡水会では、いろいろな物を戴いた。
写真はその一つ、資生堂の金平糖である。
戦前の淡水にも広瀬ノブさんが「資生堂」という店を開いていた。
当時の思い出のコンペイトウは「乾パン」の包みが連想される。
保存・携帯食であった乾パンはハトロン紙で包装されていたが、その中に小さなコンペイトウが幾粒か入っていた。
戦時下でも、さすがに台湾には砂糖はあったと思うが内地や前線では甘い物は貴重品あつかいであったのだろう。
旧陸軍では「乾麺麭」と呼び、縦3センチ余り、横2センチ足らずの小型で、焼孔が2つあった。
海軍の乾パンは縦8センチ、横5.5センチ程度の大きさで、十数個の焼孔があり、10枚程度で一包にしてあった。
海上自衛隊では、旧海軍式の乾パン(カニヤ製)が採用されチューブの水飴とともに配布され、陸上自衛隊と航空自衛隊では旧陸軍式の乾パン(三立製菓)を150グラムに15グラムの金平糖が一食分として同梱されているという。
これも旧陸海軍の伝統なのであろうか?