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淡水和平公園の歴史的背景に掲載された逸話(1)

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ボストンの博士から標記資料の最新版が送られてきた。

A4版186ページの大作である。

前に見せて貰った版から、中文を英文に翻訳したところもあり、新たに追記された事項もある。

ここでは、1944年10月12に淡水街が米艦載機の襲撃を受けて亡くなった20名の民間人犠牲者のうち、2名についてその概要を紹介する。

淡水中學で、李登輝氏と同級であった周明徳氏の御尊父、周炳銘氏は淡水駅に近い施合発に務めていたが、この空襲で亡くなっている。
気象予報官として新高山測候所に勤務していた明徳氏に、訃報を伝える電報が届いたのは2〜3週間も後のことであったという。

もう一人の犠牲者は呉氏(あだ名を猿鹿仔という)というタクシードライバーであった。駅前にあったそのタクシー会社には、一台のタクシーしかなかった。
彼の未亡人は台湾で初めて運転名許を取得した女性であったという。
彼女は72歳のときにロサンゼルスでPhDと学位を取り、タクシー会社のあったところでホテルビジネスに成功したという。

駅の近くにはライジングサンの石油会社があり、そのタンクが空襲で炎上した。
夜道を逃げながら夜空を焦がす火焔を見た記憶がいまも脳裏に残っている。

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2011年10月10日 11:37に投稿されたエントリーのページです。

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