昨日掲載した写真と同じときに撮られた写真である。
馬偕博士の頭像のある三叉路を河下の方に見たところである。
ちょうど人が三人車道を横切っている辺りの向こう側に龍目井の宿舎があった。
宿舎の裏は安武先生の宿舎と接していたらしい。
そこも中野金太郎氏が家主であったという。
写真の右端に興亜医院があり、そこでボストンの博士は生まれた。
私達家族の住んでいた住居から、正面に見える道を隔てて斜め向かいに住んでいたのである。
そしてその向こうには郵便局の大きな三角屋根が聳えていた。
60年も70年も経って互いのブログで知り合った我々は昨年一緒にここを訪れたことは奇寓であるとしか言えない。