4月の「父のメモから(4)」に掲載したスケッチの一部を取り上げたものである。
何十年も前のことであり、記憶をたよりに描いているので多少の誤差はある。
名前を丸で囲っているのは人名で淡水公学校の松田常己校長は同校に建てられていた官舎に住んでいた。
街役場の右にある荒という字の書いてあるところには本願寺があり、荒操天という僧侶が住んでいたという。
左端の黒川さんというのは塩屋で、私の両親が結婚してその2階に住んでいた。
淡水劇場についてはカリフォルニアのLCさんが航空写真や資料をメールに添付して教えてくれた。
老義発、施合発というのは当初判らなかったが、KGさんが送ってくれた周明徳撰などで概要が判った。
台湾で木材を扱う最大級の企業で、後に合併して台湾木材になったという。
来月の「淡水会」で、両社に務めていた人達の子孫にあたる会員が面談出来るかもしれないと思うと気持ちが高ぶって、はやくその日にならないかと思う。