カリフォルニアで、いつもこの拙いページを見てくれているという。
有難いことである。
今日は、台北市大橋小児科の林彦郷先生の近作、基隆水産学校交友録を送ってくれた。
広島台湾会の中谷 武 さんの話が載っていたからである。
著者の林先生のところに中谷さんから電話連絡があったことで2010年10月に基隆水産学校の同窓会に出席した。
そのときのことを書いたエッセイである。
私は広島台湾会などというものがあることさえ知らなかった。
ウェブで探したけれども見つからない。
広島は百万都市であり、私が年賀状を交換している知人の中に淡水に在住していたのに淡水会にも入っていないひとが何人かいる。
龍目井で生まれた妹も、終戦前に岩国に帰っていたYさん一家も兄弟で広島市内に住んでいる。
このようなネットワークの修復は難しいがそれだけに、いま誰かがやらなければならない地道な活動だと思う。
淡水会の会員が、子や孫、その配偶者に世代を超えて広げて行くと言う当たり前のようなことが難しくなっているのだろうか?
写真は1995年3月に撮った基隆港である。
白い巡視船の向こうに見える上屋と、その左の港湾当局の建物の左には基隆駅があり、当時は駅前にケープを羽織った蒋介石の像があった。
駅から構内引き込み線が岩壁に沿って長く延びていた。
引き揚げのときは台北から貨物列車でここに送られて、くたびれ果てた人達は貨車の下の線路を枕に横臥していた。
引き揚げ以来、半世紀ぶりに訪れた基隆港である。
いまは港湾機能も満杯状態で、淡水の対岸八里に大規模なコンテナヤードが拡張されている。
LCさん、ありがとうございました。