臺北縣淡水藝術舞動街坊・文化古蹟巡禮地圖(2009年版)に掲載されていた13箇所の古蹟に「木下静涯晝家宅邸」が含まれていた。
古蹟をそのまま使ってレストランになっている「紅樓」の傍である。
画伯は淡水河越しに観音山を望む見晴らしの良いところに居を構えていた。
戦前、台湾には画伯と呼ばれる画家が4人居た。
石川欽一郎、桃甫:塩月善吉、古統:郷原藤一郎、それに静涯:木下源重郎である。
石川欽一郎は総督府通訳官を兼ねて台北師範学校の美術教師をしており、塩月桃甫は台北高等学校・台北一中の美術教師、郷原藤一郎は台北一中、台北二中、台北第三高女の図画教師を歴任していたが木下画伯は教壇に立つことなく祭永氏を唯一の内弟子としていた。
終戦後、引揚船で北九州に帰国されて百歳の天寿を全うされたが、2000年頃静涯画伯の収集品であった600点もの日本画が見つかったと報じられていた。
修理を終えて見学できるようになる日を待ち望んでいる。