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台湾鉄道・淡水線の終着駅

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台湾鉄道の淡水線は1901(明治34)年8月20日であった。
これは基隆から打狗(現:高雄)間400キロ余りを結ぶ縦貫鉄道の開通より数年早かった。
当時、淡水は貿易額の6〜7割を占める貿易港であったので主都台北からの鉄道整備が急がれたのであろう。

当初、台北駅から大正街、雙連、圓山、宮の下、士林、ロ其里岸、北投、江頭(関渡)、竹圍の各駅を経て淡水まで約20キロメートルの鉄路であった。
現在のMRTとほぼ同じ経路である。

淡水から台北に通勤・通学するために蒸気機関車の曳く列車は4両編成であった。
のちに閑散期にはガソリンカーが運行されていた。
自動車のように床下に装備されたガソリンエンジンで駆動するもので、いまで言うレールバスである。

母は台北一高女に、マキ子さんは、二高女に通っていた。

父は応召してこの駅から台南の部隊に向かった。

この写真も、戦後父の教え子から送って貰ったものである。


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2011年08月25日 13:13に投稿されたエントリーのページです。

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