父は1946(昭和21)年3月に引き揚げたのち、2度淡水に行っている。
一度目は1986(昭和62)年に書道教室の仲間と故宮博物館の古美術を見に行ったときである。
このときは圓山飯店に3泊しているが、桃園空港に父の名を染め抜いた赤幕を張って歓迎して貰い、仲間と別行動で台北から基隆、野柳、石門とまわって淡水に行ったそうである。
そのとき淡水国小にも行き、陳淑女校長と乾杯している写真もある。
昔住んでいた龍目井の旧居も訪ねたという。
2度目は現地で行われた淡水会で、1990(平成2)年前後のことである。
このときは80歳近かったので団長にされたと言っていた。
そのときは25名で訪台し、現地の人達が80名くらい参加してくれたそうだ。
懇親会もあるので淡水2泊、台北2泊であった。
「茜雲」という随筆集に3部にわけて二十数編を書いているが、「台湾の話」だけは「その一」「その二」「その三」と三項にわけて書いている。
懐かしく、嬉しかったのだと思う。