一昨日の淡水郵便局・分館の追補である。
あれを見たMさんから電話を貰った。
父が応召したのは私が4歳のときで、復員したときは5歳であった。
従って当時のことを憶えていると言っても確かな記憶ではない。
応召したのは三芝公学校の教頭をしていたときで、淡水駅から見送られて伯父とともに部隊に向かったと聞いていたので、三芝から淡水に戻ってきたと思っていた。
家族として一緒に住んでいたMさんによると、父が応召したあとも三芝に居たのだという。
終戦になって留守家族で淡水に戻ってきたが住むところはなく、郵便局の分館に仮住まいしていたと言うのである。
そのとき、ここは市川ヲコさんが管理人をしていたそうである。
あやふやな記憶でも、こうして書いてみることによって記憶違いしていたことや関連事項が判ることもある。
淡水郵便局の分館になっていたこの建屋は香港の貿易商ダグラス商会が貨物倉庫として建てたものであったが、当時の写真と見比べてみると屋根が寄せ棟(上図)から切妻に変わっている。