大きな切妻造りの淡水郵便局は電報局も兼ねていた。
その河岸寄りに2階建ての建物があった。
19世紀に香港の貿易商、ダグラス商会の建てた上屋であったが、日本の統治が始まると龍目井界隈の土地・建物は不動産業の中野金太郎氏に譲渡してダグラス商会は撤収した。そして、その2階建ては改築などを経て郵便局に移管された。
写真で中央、やや左の切妻が郵便局本館で、右端の2階にアーチがならんで見えるのがその建物である。
母は戦時中、郵便局の為替主任をしていた。
そしてこの建屋の2階に陸軍通信隊の兵士が数人滞在していた。
朝、通信兵たちは電線や工具を持って出掛け夕方帰ってきた。
母たちはその賄いの奉仕をしていた。
幼い妹は眼鏡を掛けた通信隊員を「おとうさん」と言っていたという。
その頃、父は応召して台湾南部の部隊に赴いていたのである。
母も困っていたと思う。
いまはすっかり様子が変わってその河岸の建物のあった辺りは公園の一角になっている。