龍目井に住んでいた頃か、烽火街に住んでいた頃のことかよく判らない。
銀色のツェッペリン飛行船の玩具を買って貰ったことをおぼえている。
長さ2、30センチくらいではなかったかと思う。
銀色のブリキのおもちゃで、天上から糸で吊し、船尾にある透明なセルロイドの3枚プロペラをゼンマイで廻して旋回するものであった。
内地に帰ったときに祖母が買ってくれたものである。
戦後、「あれは福屋で買った。」という祖母に母が「福屋は広島のデパートよ。」と言うと「そうだよ。広島の福屋で買った。」と言っていた。
母は台北一高女に通っていたが、最終学年は徳山高女に転校し、そこで卒業している。
祖母も20年以上淡水に暮らしていたが、何度か山口県に行くことがあったのであろう。
広島は山口県境から30キロメートルくらいである。
福屋は電車通りの北側にあったが、1938年南側に地上8階、地下2階の新館(上掲)が建設されていた。