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漁人碼頭の変遷

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淡水の市街から淡水河の河口まで2、2キロメートル程度である。

淡水河は台湾では大きな河であるが比較的きれいな河で、小魚のほかハマグリも淡水自慢の一つである。

船で上海へ行こうものなら揚子江の水が遙か沖合まで流れ出して黄土色であるが、それに較べると淡水河は清流である。

しかも河口は遠浅で海水浴にちょうど良かったので、台湾で初めて海水浴場が作られた。
淡水街営の海水浴場で、シーズンには淡水線の列車を増発したり、駅から海水浴場までのバスの割引サービスがあったりして大層賑わっていたという。

三方が丘に囲まれ、神奈川県の鎌倉に似ているから淡水鎌倉海水浴場などと呼ぶ人も居たらしい。

しかし、大東亜戦争が始まると射爆演習場になり荒れ果ててしまった。

1988年頃から多機能モデル漁港として再開発され、漁業協同組合の漁協としての機能のほか、レストランや土産物屋のならぶ河岸遊歩道やそこに渡る橋などが整備された。

遊漁船や連絡船、河口クルーズなどのほかウェットスーツによるダイビング船なども営業している。

淡水の夕陽を目当てに訪れる人も多い。

背景に無線アンテナが数本見えるが、東シナ海で操業する遠洋漁船との連絡用であろう。
戦前もこの近くに無線の送受信局があり、九州などとの交信を担当していた。
当時、淡水郵便局は無線通信局の業務も担当していた。


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2011年08月07日 12:02に投稿されたエントリーのページです。

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