淡水は河に面した坂の街である。
以前からあった集落は龍目井、烽火街、それに山手の砲臺埔あたりで、淡水線の駅は始点の台北寄りで竹圍の集落に近く、町外れであった。
駅が出来ると、そのから龍目井までの間に公設市場などが出来、新店と呼ばれる一角となった。
そのあたりに少し平地がある程度で紅楼も高台、紅毛城も高台に築かれた。
公会堂も、街長官舎も高台で道はみな狭い坂道であった。
戦後、老街のバイパスとして中山路が整備され、街の様子が一変したが、部分的には昔の道が残っている。
上の写真は淡水小学校、淡水女子公学校から街長官舎の横を通って公会堂に降りる坂道であった。
中山路が街長官舎と公会堂の間に設けられたため、その小道は遮られ、陸橋で中山路を越すことになった。
この写真は旧街長官舎を下から見上げたものである。
緩やかであった坂は削られて崖になった。
いまはもう少し整備されているのではあるまいか?