このブログを見たとコメントを貰った。
その人のお祖父さんが淡水国民学校卒業生で、よく当時の先生のことを聞いたという。
滬尾日語傳習所ができたのは始政式翌年の1896年で、このときに設立されたのは滬尾のほか台北、基隆、新竹、宜蘭、彰化(台中)、鹿港、苗栗、雲林、台南、嘉義、鳳山、恒春、媽宮城(澎湖島)の計14箇所であった。
2年後に滬尾公学校となり、1912(大正元)年に淡水公学校と改名された。
1924(大正13)年には現在、文化国小のある地に淡水女子公学校が分離された。
1941(昭和16)年4月には淡水東国民学校と改名された。
1946(昭和21)年に淡水国民学校と改称され、1952年に男女共学となった。
1958年には淡水国民小學と改められ、
1990年に創設90週年記念誌が発行された。
上掲の写真はその記念誌に掲載されていた1944年当時の写真である。
前列中央は松田常己校長、後列左から2人目は廣川研一である。
当時の職名は訓導であった。