新北市淡水区の区役所のウェブページに「淡水大事記」というページがある。
明鄭時代、清領時代、日據時期、民国時期を全部プリントすると15ページにも及ぶ淡水の詳細な歴史である。
台湾が日本に併合された翌年の1896(明治29)年に行われた人口調査で淡水の人口は6344人であったと記されている。
現在の人口が約20万と言われているから、百十年あまりの間に30倍になったと言うことである。
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終戦で淡水に住んでいた日本人も、住まいも食糧もない内地に引き揚げた。
淡水から引き揚げた人はどのくらい居たのだろう?
友人たちとインドに旅行して帰りの船で病気になった友人に付き添って台湾に上陸し、淡水の地が気に入って家族を呼び寄せて暮らした木下静涯画伯も、我々と一緒に総督府の広間で藁の上に寝たりして何処に上陸するかも判らない引き揚げ船で九州に帰った。
引き揚げて帰った人達の生活は大変であったが、30年ほどしてこの街から引き揚げた人達によって「淡水会」が出来た。
今年の淡水会には是非出席したいと思う。