ウェブで調べてみても臺北第一高等女学校や三高女についての記事はあるが、臺北第二高等女学校については殆ど記載がない。
調べて見ると度重なる台北空襲で専売公社などとともに焼失して廃校になったということが判った。
焼け残った校舎は台湾の国会にあたる立法院の建物として使われているらしい。
議事堂ではないがその庁舎の一部に使われているそうである。
我々も1944年10月12日に淡水で空襲を受けたが、その日を含めて3日間連続の空襲であった。
おそらく台北の街が主目標の一つであったのであろう。
台北の空襲による被害は甚大であった。
沢山の非戦闘員が犠牲になった。
臺北第二高等女学校も、その犠牲になったのである。