1940(昭和15)年11月22〜27日、横浜を離水した川西式大型飛行艇「綾波:艇体付字J-BFOZ)」はサイパン・パラオ・淡水・横浜間9237キロメートルを飛行時間37時間12分で飛翔した。
これはその前年、横浜からサイパン・パラオに定期運航されていた大日本航空の南洋線を延長し淡水まで定期運航を延長し、将来的にはサイゴン、バンコックまで運航することを意図したものであった。
間もなく開戦となったため、残念ながら定期便が就航することはなかった。
従って淡水に飛来していたのは海軍の輸送飛行艇であった。
南洋線は1941(昭和16)年11月25日にパラオから赤道を越えてポルトガル領チモールまで延長されたが、その2週間後に大東亜戦争が勃発したため、1往復で終わってしまった。
大日本航空の川西式大型飛行艇には「黒潮」、「綾波」、「磯波」、「白雲」などの艇名が付けられていた。
大日本航空で使用されていた川西式4発飛行艇は18艇とされているが、民間航空の付字で登録されていたものは23艇あったとする説もある。
客室定員は10名で、座席は角度調整が出来るほか寝室には両舷に2段の折り畳み寝台があり、貨物室、化粧室のほか調理室もあったという。