片倉佳史氏の『台湾に生きている「日本」』を見ていたら口絵のカラー写真にこの写真が載っていた。
写真を見ても気にとめなかったが「(大鵬湾)屏東県の東港水上飛行場の管制塔はカフェとなって残っている」という2行足らずの説明文に驚いた。
東港と言えば飛行艇や水上機の基地として内地の横浜や詫間のような飛行艇の基地であった。
本文を何度読み返しても関連する記事は見つからなかった。
片倉氏には、つい先日淡水世界和平公園の件で助力を依頼したところご多忙中にもかかわらず対応して貰ったばかりである。
いつか、機会を見つけて東港の様子など教えて貰いたいと思っている。
嘱託で淡水公会堂の管理人をやっていた祖母は幼い私の編上靴を飛行艇の艇長に頼んで買ってくれたが、サイズが合わず香港だかシンガポールだかに取り替えに行って貰ったと笑っていたことがある。
淡水にはときどき、南洋からの帰途や内地から要人を乗せて川西の飛行艇が来ていたが、艇長や来賓は公会堂に宿泊していた。