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1940年の端午の節句

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私が生まれた年の端午の節句には資生堂の広瀬さんや公学校の松田校長などから武者人形や鯉幟を貰った。
祖母からも、佐賀の本家からも祝って貰ったそうである。

それで、若い者がご飯を食べていた表側の部屋に鎧甲や武者人形を飾ったときの写真である。

父は小栗兄弟に手伝って貰って、高台にあった公会堂に鯉のぼりや吹き流しを掲げる柱を立てたという。

その穴に埋めたのか、父は眼鏡を無くしたと言っていた。

そのとき父は28歳、母は23歳であった。


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2011年06月18日 15:34に投稿されたエントリーのページです。

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