LCさんから送って貰った淡水の陳月里女史の「淡水月光」(1991)である。
1988年に観音山をスケッチしていた武蔵野美術大講師、建築家の鈴木喜一氏と出逢ったとき、67歳だったという。
鈴木氏のエッセイによると三民街の小公園に面した建物の2階に住み、1階に娘さんと民芸店を開いていたそうだ。
木下静涯画伯はインド旅行の帰途、病気になった友人に付き添って台湾に滞在し、この地が気に入って淡水に居を構え家族を呼び寄せて終戦で引き揚げるまでこの地の名士であった。
画伯は特に雨後の淡水がお好きであったと思うが、それほど淡水という処は良いところである。
LCさんも夜の淡水河に浮かぶ漁船を撮影して国際フォトサロンに入賞している。
淡水河と観音山は晴れた日も雨の日も、朝も昼も薄暮も実に良い眺めである。