戦前、淡水神社のあったところに臺北縣忠烈祠がある。
今年、この近くに淡水世界平和公園(DWPP)がオープンした。
ボストンの博士たちが尽力して建設されたものである。
この平和な街も史上何度か戰争に巻き込まれ、軍人だけでなく何の関連もない民間人が此処で亡くなり、あるいは前線に送られて戦没した。
人間は実に愚かなものである。
かつて、戦は職業軍人や彼らに雇われた兵士が行っていた。
機関銃や爆弾が開発され、戦場に持ち込まれてから何の罪もない民間人も戦争に巻き込まれるようになった。
合衆国の南北戦争や、第一次世界大戦、スペインの内乱など何度も戦争の悲惨さを繰り返してもそれに懲りず、第二次世界大戦を引き起こしてしまった。
未だに核実験を止めない国も、毎年二桁で軍事予算を増大させている国もある。
もういい加減、その悲惨さ、虚しさ、亡くなった人の無念さ、残されたものの悲しみを学ばねばならない。
それが戦争を体験したものの義務である。
淡水河を見下ろし観音山を対岸に望む淡水の平和公園には味方も敵も、軍人も民間人も祀られているという。
機会があれば是非参拝したいと思う。