1923年、沙崙に淡水街営の海水浴場「和樂園」が作られた。
駅から3.3キロメートルの海水浴場は6月から9月まで営業しており、淡水線の鉄道も列車を増発したり往復割引切符、駅から海水浴場までのバスが運行されていたという。
広島市営アパートに住んでいた頃、台湾で温泉旅館を経営していたという老婦人がいた。その人の孫娘が、当時未就学であった娘をよく可愛がってくれていた。
その婦人の話では、温泉場が暇な夏には海水浴場に逗留し、逆に海水浴場を営業していない冬には「和樂園」の経営を委ねられていた浅野タツさんがその温泉旅館に泊まっていたと言うのである。
もっと話しを聞かせて貰えばよかったと思っている。
その沙崙の海水浴場も1934年に台湾軍の防空演習などの軍事演習が行われ、以降毎月のように砲兵や機関銃隊、爆撃などの演習が行われるようになり、油車口から交通管制が敷かれたという。
遠浅の良い海水浴場であったが、戦後すっかり荒廃していたようである。
1998年から多機能デモ漁港に選定され、歩行木桟道、跨港橋、レストラン、土産物屋、デイクルーズなどが行われるようになった。
淡水の環河道路の乗り場との渡船も頻繁に運航されている。
跨港橋上から河上を眺めた写真である。
右が観音山、左が大屯山で正面遠景が台北である。