淡水中學の前身は淡水に渡来し、キリスト教を宣教し台湾おけるに医療と教育を広めた馬偕博士が設立したミッションスクールであった。
当時の淡水中學は認定されておらず、上級校への進学が認められていなかった。
1938(昭和13)年に台湾総督府の認定を獲得し、私立淡水中学校と改名した。
この淡水中学校に赴任したのが有坂一世校長であった。
淡水高等女学校の校長を兼務していたが、台湾人の生徒が多い両校のレヴェル向上に尽力した。
まだ正規の中学校として認定される前に、台北第一中学校から次男を淡中に転校させるなど、既に台北高等学校に進学していた長男以外を出来たばかりの淡水中学校に通学させている。
1940(昭和15)年度の卒業生が第1回卒業生となるが、1941(昭和16)年に淡水中学校4年生が、台北高等学校の高等科に合格した。
後に中華民国総統となる李登輝氏である。
上掲の写真は淡水古蹟博物館で撮影したものであるが、有坂校長の作詞による同校の校歌が4番まで掲げられている。
なお同校は現在も名門、淡江高級中學として存続している。