昨日、このブログで施合発の「大観丸」に触れたら、さっそくLCさんからメールが寄せられた。
戦後の混乱期に花蓮港から淡水まで、同船に乗船したというのである。
そして、そのときのことを書いたエッセイが添付されていた。
(このエッセイはブログ「漁人碼頭的戰爭」(2010年5月14日)に掲載された)
そしてその中に、蔡坤煌医師に診療されたときのことが載っていた。
同医師は、淡水区長(淡水鎮長)蔡葉偉氏の父上で、1960年代末から淡水の風物を撮影し、その芸術性はアマチュアの域を脱していた。
私達が淡水鎮公所を訪問したとき、鎮長は出張で会えなかったが、いつかご挨拶出来ると思っている。
見出しに載せた写真は観音山を背景に淡水の千枚田を撮影したもので1970年の作品である。
これは淡水河口を望んだもので翌年5月10日の撮影による。
いずれも「過鏡千帆看淡水:淡水藝文中心三週年特展」に掲載されている。
同誌は蔡坤煌醫師のモノクローム写真48葉と白雙爵氏のカラー写真48葉が掲載されている。