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父のメモから(4) 

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さきに『父のメモから(1:2010年11月2日)』として淡水公学校関係者を、『同(2「淡水街の名士たち」:2010年11月4日)』としてとりあげた。

今日は別のメモを見つけたので転載してみた。

ウェブのサーバに載せるために縮小したため読みにくくなったので少し註記してみる。

初めは、淡水駅から無線を経て海水浴場まで街の概略地図を書こうとしたものらしい。

右端下方に「淡水駅」が書いてあり、欄外に隣接駅の「竹囲」が書き込まれている。

駅の山手には「ライジングサン」の石油タンクと「海軍墓地」の字が見える。

駅の左で道が分岐し、河岸沿いに老街へ行く道と、公学校の傍を通って水碓子の方に行く道に分かれる。

公学校に行く道沿いに淡水劇場、いろは亭の文字が見え、傍に「星」、「氏家」とある。
分岐路の角に煙草屋「伊達」の字が読める。

別の地図「追憶・淡水」とは道が省略されているようである。

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河岸の道を左に行くと「老義發」、「施合發」の文字があり、道を挟んで祖師廟がある。
そこから更に河岸沿いに行くと「荒」とある。これは僧・荒操天の住居であろう。

その先に「街役場」があり、「多田」と書いてある。
これは多田文具店であろう。

その左に「黒川」とあるのは両親が結婚したときに2階を借りていた塩屋の黒川さんである。

さらに「鬼頭」、「広瀬」、「谷」、「庄」、「木下」、「小倉」と書いて行くとスペースがなくなったので地図には姓のみを書いて、左上に氏名を列挙したものであろう。

小公園から「関口」、「粟井」、「野島」、「中野」、郡役所を経て「狩野」、領事館跡を過ぎて「伊藤」とある。

山側の道は公会堂の「原田」、淡水女子公の「小石」、淡水小の「水田」、「有坂」、「中原」、「小栗」、「柴山」、「三原」、領事館近くに「木村」などの名が見える。

少し離れて淡水神社には「小笠原」、その入り口にグランド、少し下がって灯台、ゴルフ場、無線があり海水浴場の「浅野」まで書いてある。

このページの上右には、富貴角、石門、老梅、小基隆(三芝)、水碓子、興化店など近郊の地名があり、上左には2段に氏名が書いてある。

庄 信雄、星、木下、伊達 七五三、黒川、広瀬 信、鬼頭 亀吉、谷 善次、松田校長、小石校長、伊之坂校長、小笠原神官、浅野タツ、木村パイロット、原田、杉村、関口、筑紫、中原街長、狩野郡守、久保田警察署長、小栗兄弟、有坂 一世、粟井 清、小倉、伊藤 勝太郎、中野金太郎、野島(東洋館)、荒操天、多田栄吉、松本、水野


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2011年04月25日 14:42に投稿されたエントリーのページです。

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