昨日の本欄で「1920年代後半の淡水小学校」の写真を載せたらすぐに、LCさんからメールが来た。
お姉さんがその内の一人として写っている可能性があるというのである。
内地人と同様に日本語が使える学童は本島人でも小学校に通っていた。
家庭でも近所つきあいでも台湾語で話していた子供は、導入教育段階で日本語の補充教育をするために公学校に行っていたと聞いた。
LCさんのお姉さんは、母と同じ1916(大正6)年生まれだそうだ。
ブログに載せるために縮小していたので、元の約8倍の写真をメール添付で届けた。
こんなことがあるので「台北第一高等女学校」の写真も載せることにした。
この写真は、何処で何時撮ったのか判らないが、左側には男子生徒が写っている。
服装が様々で面白い。
男子生徒は制服・制帽が多いが、詰め襟あり、折り襟あり、シャツあり、袴あり、中には水着姿もいる。
女子もブラウスにスカートが多いが、着物あり、袴ありと多様である。
顔がよく判らないので右の女学校生徒のみを部分拡大してみた。
母は前から2列目、左から3人目である。
小学生の頃の面影を残している。