ここはおそらく引き揚げ前に住んでいた辺りではないかと思う。
ウェブで見つけたこの写真自体は随分古いものである(http://tw.myblog.yahoo.com/tamsuitms/photo)。
その後、道路も広く整備され画面中央にあたる位置には大きな榕樹が影をなしている。
右手前に見える古蹟「紅毛城」の門やそのエントランス、それにそのまわりの斜面が工事中である。
昨年11月13日に、ここで取り上げた写真より少し視角が狭いが、紅毛城入り口付近の盛り土などから見ると、ほぼ同時期のものであろう。
漠然とした記憶によれば手前の瓦屋根の小さな家が建っている辺りか、あるいはもう少し左手であったような気がする。
道に面したブロック塀は撤去されたのか記憶にない。その辺りから敷地の内側に数段の煉瓦積みがあって低い植え込みがあったように覚えている。
戰争末期には家のまえの土地を掘って壕のまねごとのようなことをしていたような気もする。
引き揚げて、佐賀県浜崎の本籍地、岩国を経て原子砂漠の広島市内を転々としてやっと落ち着いた頃に書かれたメモがある。
それによると引き揚げ前の住所は、台湾台北州淡水街烽火14と記入してあった。