一昨日、ボストンの博士から 淡水の海軍墓地に祀られていた大叔父(祖母 原田ユクの弟)のことについて何か判ることがあれば知らせて欲しいと連絡があった。
淡水世界和平公園(DWPP)の開園に向けて調べてくれている。
祖母の生前に教えて貰っていなかったので、明治28年9月5日に亡くなって海軍墓地に祀られた9名の海軍軍人の一人ではないかと訊かれても判らなかったのである。
9名の内、一人名前が判らないという。
当時、淡水で一緒の家族として生活していた祖母の姪である下松のMさんに訊こうと思って、先ほど電話を掛けた。
聞いてみると傳人大叔父は淡水海水浴場の経営を委ねられていた伯母、浅野タツの養子になっていたという。
おそらく現地で亡くなって淡水の共同墓地に埋葬されたのであろう。
写真は戦後、父が渡台したときに撮った海軍墓地のあった場所である。
ガラスに何か映っているので移動中の車内から撮影したものであろう。