93式中間練習機
先月11日のこの欄で「オレンジ色の複葉練習機」という項を載せた。
Yahooブログに「老兵の繰り言」というページがある(http://blogs.yahoo.co.jp/senri0220)。
冒頭に『「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。(後略)』と記された元特攻隊員のブログである。
本日掲載された「台湾の思い出」に、その93式中間練習機による特別攻撃が行われ、戦果を挙げたことを知って驚いた。
写真はその93式中間練習機である。
特攻に出撃したときは前線用の濃緑色に塗り直されていたのであろうか?
以下は本日掲載された全文の転載である。
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台湾の思い出 川口 武(福岡県出身)
虎尾空は昭和十九年五月十五日、台南州に開隊した陸上機操縦の教育部隊です。
予備生徒の一期生・飛練三十九期・飛練四十期が在隊していました。 台中派遣隊
は永康と後龍基地に分かれ、飛練三十八期と飛練三十九期それに飛練四十一期
(各期とも甲飛十三期生)が在隊していました。
昭和二十年二月十五日、操縦訓練の中止にともなって、虎尾空は解隊されました。
内地への引き揚げに際して、 練習生は無事帰還できたのですが、 「南京丸」に
乗船した約五十名の士官 (ほとんど十三期予備学生) と教員約二十名、 それに
われわれの衣嚢などの荷物は、基隆を出港した三月十七日夜、アメリカ潜水艦に
より撃沈されました。
護衛の海防艦に便乗していた、同期生の小深田君と前田君の話によれば、生存
者は殆どいなかったそうです。
私たち教員二十名は、新竹基地からダグラスに便乗して内地に帰りました。他の
十五名の教員は台北基地から帰る予定でした。ところが、迎えに来たダグラスが
給油を終了した途端、 グラマンにやられ飛べなくなり、 再び虎尾空に帰ったの
です。この中に、柴田君や福元君がいました。
彼らは残務整理に残っていた者と合流して台南空へ行きました。そこで、「忠誠隊」
に編入されて「特攻作戦」に参加して、大空に散華されたのです。その後、虎尾空
は解隊され、私たちが訓練に使っていた九三中練による、「特攻隊」が編成されま
した。
中でも特筆すべきは、 七月二十九日に出撃した、 「第三龍虎隊」 の活躍です。
この隊は赤トンボと呼ばれた鈍足の練習機にも拘わらず、アメリカ海軍の駆逐艦
キャラガンを撃沈したのです。そのうえ、ブリチェット、キャッシンヤング、ボレース
・バイにも損害を与えました。これはアメリカ側の記録にも残されています。
十二空はサイゴン郊外のツドウモ基地にあり、 上海空の飛練を卒業した多数の
同期生が配属されました。その後、台湾に移り「神風特別攻撃隊振天隊」が編成
され、宜蘭基地や新竹基地から沖縄周辺へ出撃し、 大空に散華されました。
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