九州・長崎と淡水との絆は太く永い。
前掲の淡水区公所の公式ホームページの「認識淡水・淡水大事記・日據時代」によれば1910(明治43)年に 淡水・長崎間に海底電線が敷設されている。
上掲のケーブル敷設船は三菱造船下関造船所で建造され当時の国際電電に引き渡された「KDD丸」(下関造船所第633番船:1967年竣工)である。
ケーブル敷設船の設計者として第一人者のK博士が設計統括としてまとめ上げた海洋電線敷設船である。
まだ造船企業に居た当時、事業所は違っても親しくお話しさせて貰っており、技術担当をしていた浚渫船の学位論文を書くときに博士の論文を貰ったことがある。
私の場合、論文を査読して貰っていた九州大学のO教授が亡くなったので審査も受けないままになってしまった。
昨年 淡水を訪問したときに三芝国小を訪問したが、そこで案内してくれた教務主任Yさんは長崎市の稲佐小学校に出張したと言っていた。
手を伸ばせば届くと言うわけには行かないが縁は深い。