淡水線では1932(昭和7)年8月24日に大きな事故があった。
上掲の写真は淡水区公所の公式ホームページの「認識淡水・淡水大事記・日據時代」の一部を撮したものである。
竹囲・江頭(関渡)間で颱風のため、列車が転覆し41名が溺死したと記されている。
淡水獸疫血清製造所ができた翌年のことである。
そして、昨日(2011(平成23)年3月11日)、東日本で関東大震災の10倍もの大震災が発生した。走行中の列車と連絡が途絶し、停車していた一編成が津波に飲み込まれてしまった。
東京電力の福島第1原子力発電所は爆発音がして白い煙があがったと報じられ、同第2発電所も半径10kmの住人に退避指示が出されている。
この地震の余震はまだ続いており、津波警報も引き続き発令中である。
人的被害も4桁を越えると思われるが、未だ被害を評価できる時期ではない。