台湾か内地かよく判らない。
場所も漠然と田舎のようであったというほかはない。
しかし、確かにオレンジ色に塗装された複葉練習機が飛んでいるのを見た記憶がある。
敗戦で民間機も含めて航空機はすべて禁止されていたのだから戦時中に違いない。
淡水か三芝に居たころである。
どう考えても淡水とは思えない。
そうすると三芝に居た時期のことであろう。
台湾に練習航空隊があったかどうか判らない。
しかし、新竹航空隊という部隊があり、陸攻の操縦要員や偵察要員の実用機教育が行われていたという文献を見つけた。
松山の飛行場からは陸攻が重慶など大陸に向けて渡洋攻撃に出撃していたことは母が話していた。
でもかすかに覚えているのは複葉の陸上練習機である。
練習機だから思うように飛べないこともあり、これと出会った飛行機の方が避けなければならない。
それで目立つように機体も翼もオレンジ色に塗られていた。
人はその色から「赤とんぼ」と言っていた。
ただ、それだけのことであるがふと思い出したのである。
むろん、型式などは判らない。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
2004年頃から現在も引き続き陸海軍(主に海軍航空隊)の戦史や搭乗員などについて調べてウェブで発表している人が居る(http://ameblo.jp/pico3298/)。
決して戰争礼賛などではなく、任務として空に散った方々の鎮魂のページである。
このページを知って「紺碧の海(https://www.shipboard.info/blog/)」の生い立ちの記で淡水に配備されていた零式水上観測機のことを尋ねたことがある。
それにしてもインターネットは凄い。
「紺碧の海」で知り合いになったカリフォルニアのLCさんの知り合いが淡水で零観に乗っていたことを知ったのもその恩恵である。