「淡水線のガソリンカー」を載せたら今度はカリフォルニアUSAのLCさんから当時の様子を記した長文のメールが届いた。
当時の淡水線は蒸気機関車の牽引する4輌編成が基本で、ガソリンカーは利用客の少ない時間帯に運行されていたという。
単線なので途中駅での対行列車の待ち合わせとか、トンネルでの煤煙の話とか、列車通学生の話や、戦後国府軍兵士による臨検の話などとてもここでは紹介しきれない。
上掲の写真は臺北縣立淡水古蹟博物館になった滬尾砲台に掲示されていた写真を撮影したものである。
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当時の淡水線は蒸気機関車の牽引する4輌編成が基本で、ガソリンカーは利用客の少ない時間帯に運行されていたという。
単線なので途中駅での対行列車の待ち合わせとか、トンネルでの煤煙の話とか、列車通学生の話や、戦後国府軍兵士による臨検の話などとてもここでは紹介しきれない。
上掲の写真は臺北縣立淡水古蹟博物館になった滬尾砲台に掲示されていた写真を撮影したものである。