今年の1月に佐賀県の小型シートが年初に発売になった。
佐賀県は、ほかの県のように封建時代の一つあるいは二つの藩を県と置き直しただけではない。
1871(明治14)年7月14日、廃藩置県により当時の藩をそのまま佐賀県、蓮池県、小城県、鹿島県、唐津県、厳原県となった。
9月4日に厳原県は佐賀県と合併し伊万里県となった。
11月14日には蓮池県、小城県、鹿島県、唐津県が伊万里県に編入された。
旧肥前国は長崎県と伊万里県になったのである。
翌年1月に旧佐賀藩の諫早、神代、伊古、西郷、深掘が長崎県に編入され、5月29日に伊万里県は佐賀県に改称され、8月19日には対馬(旧厳原県)が長崎県に編入された。1876年には佐賀県は長崎県に編入され、1883年に長崎県の10郡(佐賀・小城・神崎・基肄・養父・三根・杵島・藤津・東松浦・西松浦)が分離独立し、改めて佐賀県となった。
非常に大雑把に言えば、旧肥前国が長崎県と佐賀県に分かれたのである。
佐賀県は玄界灘に面し海岸に沿った山岳地帯である唐津藩と、有明海に面した湿地であった佐賀藩にわけて考える方が理解しやすい。
佐賀県でも唐津側は新聞に掲載される天気予報も福岡県を参考にする。
私の祖母 松浦リセも、明を再興しようと台湾に拠った鄭成功の母親 田川マツも肥前の出身である。
本籍地は平成の大合併で唐津市に編入されたが、佐賀平野よりも長崎、佐世保、平戸などのある長崎県の方に親しみを感じるのである。
小型シートの切手は、上に佐賀県出身の宰相 大隈重信、下の田の字は右上から時計回りに「祐徳稲荷」、「唐津くんちの山車『鯛』」、「佐賀平野の熱気球大会」、「吉野ヶ里遺跡」である。
やはり、一つ選ぶとすれば「唐津くんち」である。