滬尾砲台(臺北縣立淡水古蹟博物館)の土塁のなかは往時の写真が沢山展示されている。
その中に淡水河に停泊する外航船の写真もあった。
説明には「日據時期の淡水港口」としか書いてなかったので撮影時期は判らない。
ただ淡水鎮(区)公所の年表によると、1897(明治30)年に日本郵船が淡水・福州航路、香港・淡水航路を、大阪商船が1899(明治32)年に淡水・香港航路を開設したが1909(明治42)年に淡水・福州航路などが廃止されたと載っているので、その間のことであろう。
しかし、ジャンク(戎克)などがその後も出入りしていたので税関もあり、パイロット(水先人)もいた。