現在は中山路と呼ばれて老街をバイパスする幹線路となっているが、戦前は油車口から来た道はイギリス領事館の辺りから河岸沿いの道と分かれて緩やかな登り坂になっていた。
丘に上る道はそこから公會堂や稲荷社のある木立を迂回して新生街、新民街の方へ曲がっていた。
ここに示した古い写真はそこから河口を望んだものである。
まさに日が八里の向こうの海に沈もうとしている。
この頃になると淡水河は堆積がすすみ、外航船は入港しなくなっていたが淡水には税関もあり、水先人(パイロット)もいた。
それにしても、いかにも穏やかな良い写真である。