油車口の砲臺の傍に淡水神社が造営されることになった。
街中の行事として社殿に用いられる材木を御用材として現地に運ぶときの様子が写真に残っている。
これは上の写真の中央部を切り出したものである。
台の上でメガホンでかけ声を掛けているのが私の父 廣川研一で、その隣で日の丸の扇をかざしているのが淡水公学校教師の丹羽武雄氏である。
木下静涯画伯は左端で太鼓の横で白い帽子を被り脚にゲートルを巻いて手を打っている。太鼓を打っているのは父の佐賀同郷の親友であったが引揚後しばらくして交通事故で亡くなったそうだ。
台車の前で日の丸の鉢巻きをしてカメラの方に視線を送っているのが資生堂の主人である広瀬氏でその二人前、帽子を被って首に汗ふきを巻き付けているのが淡水小学校の水田校長である。