昨日、公會堂の横にあった淡水稲荷社のことを載せたら、早速 CHMさんが地図を送ってくれた。
公會堂の敷地の右に、ほぼ同じ規模の「神社地塊」があり、そこに稲荷社と淡水社が描かれている。
いずれも社殿だけでなく社殿の正面に鳥居、向かって右手に手水場があり、淡水社には一対の灯籠も描かれている。
「公會堂地塊」の方は何も描かれていないので稲荷社鎮座(1906年)のあと、公會堂落成(1928年)以前の配置図であろう。
この配置図で見る限り淡水社に較べて、稲荷社の方がずっと立派に見える。
日本統治が始まって100年を記念して編集された特別展覧会資料によれば、淡水社は1923年に造られたという。
推測であるが、1939年に油車口に淡水神社が造営されるまでの仮の祠ではなかったのではなかろうか?
両親は同年5月20日に台湾神社で結婚式を行ったが、もし淡水神社が出来上がるのが早かったら淡水神社で挙式していたことであろう。